大学院卒業後、念願の就職先への初出勤は胸がどきどきするほど期待と希望に溢れていました。しかし、労務相談にものってもらえず泣く泣く転勤することを選びました。
大学生活が6年(大学4年、大学院2年)と長かったため、“早く卒業して、経済的にも自立してバリバリ働きたい”と長い間思っていたのです。
入社当時は環境、先輩にも恵まれ、仕事・プライベートも充実して
“あぁ、これが念願の理想の社会人生活か~”なんて思っていました。
特別お給料が高いわけではなかったけれど、それなりに贅沢できて、アフター6には都内のお洒落なカフェやレストランで食事をしたり、休日は神戸で思い出に残る海洋散骨に参加したり観光もしたりと、充実した日々を送っていました。
しかし、そんな時間はすぐさま過ぎ去り、入社1年もたたないうちに上司から
“あ、来月から転勤が決まったから!大丈夫だよね?”とあっけなく一言。
それは今思い返せば、明らかに会社の経営が傾きだし、それとは比例して増える業務を処理する人間を送り込むためのものでした。
転勤を拒否すれば減給。行くか、減給か、辞めるか、選択肢は3つ。
社会人1年目の自分にとって減給は非常に痛手であり、辞めるにしても次の先が決まっていない。
もともとポジティブな性格だったのでそんな状況の中でも、
“まぁまだ若いし、いろんな経験させてもらえるって思って頑張ろう。”と自分に言い聞かせて新しい勤務先へ向かいました。
しかしそんな気持ちはすぐに打ちのめされました。
移動先のオフィスでは、だたひたすらパソコンに向かい業務に追われ、それを処理するロボットのような先輩がたくさんいました。クレーム処理をしきれない社員に上司は怒鳴り声をあげ、ものすごく居心地の悪い環境。
一方で顧客からの苦情の電話は鳴りっぱなし。明らかに業務を処理する人間は足りておらず、日に日に先輩社員や派遣社員までもが辞職していました。
そのあたりから“なんかこの会社やばいかも。これがブラック企業?”と思い始めるように。
週2だった残業が週3、週4に増え、新入社員は月の残業8時間までという謎の社内規定により、サービス残業が続いていました。
しかし業務は増える一方。もちろんあっという間に8時間は消費され、気づけばパソコンを家に持ち帰り、残業から帰っても自宅で仕事をしていました。自宅はゴミの回収業者にお願いしないと片付かない始末…。
休日の出勤も増える一方。なんだかものすごく生きている感じがなくなり、
自分の喜怒哀楽の感情がなくなっていくことを感じていました。
ちょうどこの辺りから毎月体調を崩すようになったのです。